「運」がイイのか?ワルイのか?

先日、仕事で「さいたまスーパーアリーナ」のある「さいたま新都心」という駅に行きました。
無事そこでの仕事も終わり帰ろうとしましたが、「京浜東北線」、「宇都宮線」、「高崎線」と同じ方向にいくつも路線があるんですね。

どれに乗っても帰れるのですが、どれに乗ればいいのか分からないのでネットの「乗換案内」で調べます。
「そうか今の時間は「高崎線」で帰ればいいのか~~」

「高崎線」のホームに向かうと、目の前で電車の扉が閉まり、電車は行ってしまいました。

「ちくしょ~、乗換案内で調べる時間あったら乗れたのに・・・」
自分の運の悪さに苛立ちました。

今度は「赤羽」駅で乗り換えます。
この駅も「京浜東北線」、「宇都宮線」、「高崎線」、「埼京線」、「湘南新宿ライン」と同じ方向にいくつも路線があるんですね。

ここでも、どれに乗ればいいのか分からないのでネットの「乗換案内」で調べます。
「そうか今の時間は「埼京線」で帰ればいいのか~~」

「埼京線」のホームに向かう一人幅のエスカレーターに乗っていると、ドアの閉まるチャイムが鳴っています。
ですが、エスカレーターの前にいるおネエちゃんはスマホに夢中で動く気配がありません。

一人幅のエスカレーターなので追い越すことも出来ず、無情にもまた目の前で電車のドアが閉まり電車は行ってしまいました。

「ちくしょ~、乗換案内で調べる時間あったら乗れたのに。さらに、目の前があのおネエちゃんじゃなければ乗れたのに」
と心の中で、自分の運のなさにまた苛立ちました。

「新宿」駅でも乗り換えです。ここでも次は「中央特快」がやって来ることになりました。「中央特快」は目的の駅に止まらないので1本見送ることになります。
「ほんと今日はツイてないわ~~」

話はここで終わらない

そうして、目的の駅に帰り着いたのですが、あることに気がつきました。
「あれ?最初(「さいたま新都心」駅で調べたとき)の乗換案内の時間に着いているぞ!」

そうなんです、3回も電車を見送っているのに、最初の予定通りの時間に帰り着いていたのです。
電車を見送くらずに乗れたとしても、帰り着く時間は結局いっしょだったのです。
なんで?と思いましたが、平日の昼間ならどこかの乗換接続が悪かったのか、こんなこともあるのでしょう。

一応、適当な時刻でもういちど乗換案内で調べてみましたが、ほんとよくあることでした。
例えば、下の時刻表のように。

3回も電車を見送って「今日は運がないな~」なんて思っていましたが、そんな事はなかったのです。
「運が悪いな~~」と思ったことそのものが、なんか損した気分になりました。

「運」を考える

「運」がいいのか?悪いのか?ということを考えるとき、「運」て実はヒトの無意識の状態での行動が、いい結果につながったり、悪い結果につながったりするのではないか?
無意識に導かれているのではないか?と考えていた時期がありました。

深層心理学で有名な「ユング」は「ヒトの心の奥底は、他の人と繋がっている」と言っています。
ヒトの深層心理の奥底には「集合無意識」というのがあって、みなそれに繋がっているというのです。

だとするならば、その集合無意識はイイ人を優先的に助けると思うのですよね。
集合無意識もヒトの意識であるならば、みんなイイ人を応援したいですし、ワルイ人は引きずり落としたいですよね?

ワルイことを考える人は、集合無意識が許さないので「運」が悪くなっていく。
イイことを考える人は、集合無意識が味方して「運」が良くなっていく。
こう考えることもできるのではないかと思ったのです。

「運」のいい人

・イイことを考える

・集合無意識は潜在意識化で応援する

・運がよくなる

「運」のない人

・ワルイことを考える

・集合無意識は潜在意識化で妨害する

・運が悪くなる

試合に勝ったアスリートは「みなさんのおかげです!!」とよく言います。
その様なアスリートはヒトがよさそうですし、本当に多くの集合無意識が味方してくれているのでしょう。

有名人の方で、以下のようなことを人生のミッションにしていると言う方がいます。
そういう方には、深層心理の構造上、きっと「運」も味方してくれるのだと思います。
同じように自分の人生のミッションにしてみると、運が向いてくるのではないでしょうか?

・世界人類の幸せのため
・世界の戦争が無くなり、平和な世の中が来るため
・差別のない世界が来るため ...etc

「運」がいいは主体的なもの

とはいうものの「運」がよかったか、わるかったかなんて主体的な感じ方でしかないのも事実です。

砂漠で水がコップ半分しかないときに
・ああ半分も水があってよかった(運がいい)
・ああ半分しか水がないダメだ~(運がわるい)
これはもう主体的な感じ方でしかないです。

株やFXで取引きしたことのある人は経験があると思いますが、だれか自分の取引を見ていて、わざとイジワルしているんじゃないか?と思うようにチャートが動くことはよくあります。

実際は、マーケットが特定の人を落としいれようとすることは絶対ないですし、客観的に見れば、自分の取引とマーケットが合っていなかっただけなんですけれど、主観で見れば「運」がなかった。って思ってしまうんですよね。

私の目の前で電車の扉が閉まろうと電車には何の関係もなく、電車側からすれば、ただ時刻表どおりに駅を出発しているだけですよね。

塞翁が馬

聞いたことのある人は多いと思います。
私も中学の時の先生から教えていただきました。

国境の近くにあった塞(とりで)の近くに住んでいた翁(老人)は、何よりも自分の馬をかわいがっていた。その馬は、周りからも評判が立つほどの駿馬だったが、ある日突然、蜂に刺された拍子に飛び出してしまう。一向に帰ってこない馬の様子に、周りからは翁に同情するほどだったが、翁は「これがきっかけで何かいいことが起こるかも知れない」とだけ言って、我慢強く待ち続けた。すると、どうだろうか。しばらくして、その馬が別の白い馬を連れ帰ってきたのだ。しかも、その白馬も負けず劣らずの優駿で、周りの者は口々に何と幸運なことかと囃し立てたが、翁は「これがきっかけで、別の悪いことが起こるかもしれない」と自分を戒め、決して喜ばなかった。
それから、かわいがっていた息子がその白馬から落ちて、片足を挫いてしまった。周りはまた同じように慰めの言葉を掛けたが、翁はまた同様に「いいことの前兆かも知れない」と告げる。それからしばらくして、隣国との戦争が勃発した。若い男は皆、戦争に駆り出されて戦死した。しかし息子は怪我していたため、徴兵されず命拾いした。そして、戦争も終わり、翁は息子たちと一緒に末永く幸せに暮らしたという 。
このことから、人間、良いこともあれば悪いこともあるというたとえとなり、だから、あまり不幸にくよくよするな、とか幸せに浮かれるなという教訓として生かされる言葉になり、人間万事塞翁が馬などと使われる。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

その時「運」がいいと思っても、後から「運」がわるかった。となることもあるし、その逆に「運」がわるかったと思えることも、後から「運」がよいことだったんだと理解できることもある。
ということですね。

生きていく上で、あまり「運」なんて関係ないのかもしれません。

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